2021年3月10日、生徒は自殺した。
上級生からのいじめ。
部活顧問からの理不尽な扱い。
福岡県内にある私立東海大学付属福岡高等学校の生徒。
第三者委員会を擁する組織に対して、遺族はなすすべがない。
驚くことに、人間形成の道を理念とする剣道に携わった人間のはなし。
上級生やその親からの直接の謝罪はいまだ無く、一度解雇された顧問はすぐに復帰した。
なぜ、同情されるべき生徒の遺族は、逆に追い込まれるのか。
なぜ、いじめは、いつもこんな構図になるのか
絶望のはじまり
2019年4月、その生徒は、剣道の特待生として東海大福岡高校に入学する。
その剣道部の上級生5人から嫌がらせを受ける。
あざができるほどの暴力。
畳に粘着物で固定され、下半身を手淫。肛門にアダルトグッズ。
スマホを取り上げられ、撮影され、SNSで他の生徒にばらまかれる。
2か月後、生徒は突然、寮から家に帰る。
母親に言う。泣きながら。「死のうとしたが死ねなかった」
勉強や剣道に勤しんでいると思っていた自分の子が、死のうとしていたことを知る。
翌日、母親はその学校の教師でもある剣道部顧問を訪れる。
顧問は「上級生に指導する」と約束。
約2年後の2021年3月10日、生徒は福岡県内のマンションから飛び降りる。遺書には、上級生からのいじめや教師の対応が原因だと書かれていた。

第三者による公平な判断とやら
第三者委員会という名の組織が登場する。
第三者とは?関係の無い人に公平に判断してもらうらしい。
人が自ら死ぬというショッキングなことに、第三者として判断できる?
客観性というものが、風船のように軽い。
第三者委員会からの報告。
上級生からの10件のいじめの行為を認定。
部活顧問の対応に問題があったことを認める。
結論。「いじめが自殺の一因になったとする一方、直接的な原因は特定できない」
遺書には、いじめなどのほかにも両親について書かれていた。
それをもって第三者委員会。
「多くの事情が相まって、衝動的に、現実逃避として自死を選択した」
第三者委員会は、結果的に騒ぎを収め、責任の所在をあいまいにするという役割を果たす。
責任を逃れたのち、学校側は反省する。
「重く受け止め、二度とこのようなことが起きないよう、再発防止に務める」
『重く受け止める』ことをわざわざ口に出すことに、抵抗がないのに驚く。
母親は訴訟を起こす。
被告となったのは上級生及びその親。
一部は和解した。だが直接の謝罪は無い。
この訴訟とは別に、福岡県警は、いじめを行った上級生5人のうち1人を、強制わいせつの疑いで書類送検。その上級生は2年間の保護観察処分を受けている。
顧問
東海大学付属福岡高等学校。福岡県宗像市にある私立高校。旧名称は東海大学付属第五高等学校。サッカーなどスポーツの強豪というイメージ。野球も甲子園に出場している。
顧問は2012年に非常勤講師として採用され、剣道部顧問に就任。
2017年に部員の頭をハンガーで叩くなどの体罰を理由に出勤停止1か月の懲戒処分を受ける。(このことは今回の第三者委員会の報告で明らかになったが、その後、当時学校が福岡県の高校体育連盟に体罰の件を報告していなかったことも判明。県高体連が学校側に報告書の提出を求め、この顧問は1年間の出場停止の処分となった)
第三者委員会の、この顧問の人物における報告。
複数の部員や保護者への聞き取りで、他の部員に対しても「頭がおかしい」「お前は馬鹿なの?」「剣道やめろ」などと人格を否定する暴言があったとされた。
独善的な指導。自殺した生徒について、生活態度の悪い部員だとして無視。
前述の、生徒がいじめを受け、寮を飛び出したのち、再び入寮しようとしたが、それを拒否。
そもそもいじめを把握したのち、自殺するまで学校に報告していなかった。
自殺直前、その生徒の日本史の点が足りないと勘違い(?)し、多くの課題を出している。
学校側は、第三者委員会の会見の翌日、男性教諭を剣道部の顧問から外した。
だが、3か月程度で顧問に復帰。
理由は、現役部員や保護者から再三にわたり復帰を求める要望があったため。復帰することを自殺した子の母親には伝えずに。

死のうと思う人間の、地獄のような苦しみ
自分の子が、自ら命を絶つという絶望的悲しみ。
その子がこの世からいなくなるという絶望的悲しみ。
おそらく苦しんで苦しんで苦しんで自殺した息子を想像し、耐えられない絶望的悲しみ。
正気でいられなくなるほどの絶望的悲しみ。
山に登って遭難して死んだわけではない。
他の人間にしてほしくないことをされ、助けてほしい人に見捨てられ、恥をかき、見下げられる絶望的悲しみのなかでの死。
生き続けていくなかで、なんとなく得られるであろう楽しみよりも、死ぬことの方が楽になるという思考を、自分の子が持ってしまった絶望的悲しみ。
こんな境遇に身をおくために生まれてきたのかと考える絶望的悲しみ。
何をすれば、こんな絶望的悲しみを味わなければならないのか。
何をすれば、1、2歳ぐらいしか変わらない人間に、しかも同じ部活道の人間に、これほどのことをされることになるのか。
何をすれば、社会から信頼されるべき教育者から、助けてほしいと出した手をはたかれるのか。
自殺した子は、そんなに生意気だったのか。他人に迷惑をかけたのか。嫌な奴だったのか。上級生より剣道の才能があったのか。特待生にしては弱かったのか。
そうだったとして、こんな目に合うほど?どのくらい?想像できない。
いじめが衝動的なものであったのなら、反省や謝罪があるのでは?
出来心であったなら、訴訟を起こされる前に、和解する前に、なぜ謝らなかったのか。
よく聞く言葉。「その時はお互いふざけあってると思っていた」
なら、後から謝りましょう。謝ることができるはず。
いじめられているとき、『いじめられている』という顔はしないんです。苦笑いで耐えるしかないから、そんな顔になるのです。それをもって「いじめとは認識していなかった」なんて、通じるわけがない。
なぜこの生徒はこんな目にあった死んだのですか?
上級生の皆さん、上級生の親御さん、理由を教えてください。
自殺した生徒の母親に、教えてあげてください。

第三者委員会の委員の方へ
ところで、第三者委員会の皆様。
ネットニュースにはこうあります。
『いじめは自殺の一因になったとする一方、家庭環境の影響も少なくないなどと指摘し、「自死は数々の事実が相まって引き起こされたと判断したものの、自死の直接的な原因は特定できない」とした。』
”いじめ以外にも原因があった”という可能性は、否定したくてもできません。
だが、これほどのいじめを受け、それを認めといて、”特定できない”って言い方、どうなんですか。
【 他にも原因があるかも=いじめは大した原因じゃないかもしれない 】というニュアンスを感じてしまうのは、私だけでしょうか。
”多くの事情”に、いじめも入るのでしょう?
自死が衝動的だから、その直前じゃないと明確な原因にはならないのでしょうか。
自殺とはほとんどの場合、現実逃避です。
逃避したい現実が何かを特定するのがお役目なのでは?
少しでも
いじめや教育者の行為が、第三者委員会などで薄められ、原因者は、刑事罰どころか、これまでと変わらない生活を過ごし、ボロボロにされた遺族が、絶望的な悲しみのなか精神力をふり絞り、民事で訴える。これしかできないのだ、今の社会では。
いじめに耐える精神力を持てと?
自死を思いとどまって、学校をやめればよかったと?
いじめにあった側が、死ぬか生きるかの選択をしなければならないというのが、どうしても納得できない。
その理不尽が、世の中で繰り返されているのですよ、政治家さん。
いじめによる自殺は、いじめた人間による殺人です。人が人を、たえられないほど傷つけたのです。この殺人は、法で裁かれないのです。
第三者委員会などという見せかけの正義ではなく、法律で裁きましょう。それしかないんですよ、この問題は。
学校は再発防止策を策定、プレスリリースした。
こんなものではなく、社会問題として、誰か何とかしてほしい。
再発ではなく、初っ端を防ぐため、誰か何とかしてほしい。
『絶望』を少しでもなくすために。
